ソチも金よのぅ
館鼻岸壁朝市お休み中に、ソチ冬季オリンピックが開催中です。
ソチと言えば…越後屋。
「越後屋、ソチも悪よのぅ」。
日曜日の『笑点』でも、このネタで大喜利をやってました。
悪徳商人の代名詞にされた越後屋さんもいい迷惑だと思います。
注目のフリースタイルスキー女子モーグルの上村愛子さんの試合結果は第4位でした。
初出場した1998年長野五輪で7位、6位、5位、そして前回バンクーバー五輪の4位。
そして今回の4位と5大会連続での入賞をはたしながら、惜しくもメダルに届かずにオリンピックの舞台から去ることになります。
悔しさは無論あるでしょうが、すっきりと清々しい笑顔が印象的でした。
選手が誰もが目指す「金」メダル。
世界の頂点を目指して極限までの努力を続ける選手たちの努力は尊いものだと思います。
けれども誰もが手にすることができるわけでもないもの。
それがまたナンバーワンとしての「金メダル」。
「一番にならなければ意味がない」という主張があります。
「一番でなければダメなんですか」という事業仕分けの話もありました。
なぜ一番でなければならないか。
日本で一番高い山は、富士山だって皆が知っているけど、2番目は知らないでしょ。
一番は知っているけど、2番目は…それはそうなんです、確かに。
(ちなみに日本で2番目に高い山は、山梨県の南アルプス北岳なのだそう)。
わが八戸せんべい汁研究所も、B-1グランプリで金を獲得して、それを実感したと言っていましたから。
金と銀では雲泥の差があると痛感したと。
勝たないと意味がないということも間違っていません。
参加した以上、頂点をめざすことも当然です。
それでも勝利とは何かということを、オリンピックでは考えさせられます。
トップに立ったもののみが勝利者であり、ほか全ては敗北者だとも言えるわけですから。
それにまれにありますよね。
ナンバーワンを超えて記憶に残る選手やチーム。
札幌オリンピック、女子フィギュアのジャネット・リンさんとか、太田投手を擁した甲子園の三沢高校とか。
その時の一位はあまり知られていないです。
芥川賞を受賞していないが活躍している作家とか、
オスカーを獲っていない名優や名監督。
ゴッホや宮澤賢治のように実人生では世間的な評価が間に合わなかった芸術家たち。
それらの人々の綿々とした営為が無意味であるはずがありません。
上村選手の爽やかな姿勢を見て、あえて言いたいですね。
金メダルを、頂点をめざしてきた人たちは、すでに金メダルを胸に抱いていると。
受賞者の金メダルの中に上村愛子さんの栄誉が含まれる。
そして上村愛子さんにモノとしてのメダルはないけれど、心の中に勝利の金メダルが光り輝いている…。
そんな気がしたのです。
オスカーとかグラミー受賞式だと、ほとんどの受賞者がチーム一人一人の名前を連呼しますよね。
「君の支えがなければこの作品はできなかった」とか、感謝の言葉を言うじゃないですか。
「この受賞はチームみんなのものだ」とかさ。
(でも僕はあげないよってダスティン・ホフマンさんは言ったとか)。
金メダルとは(勝利とは)個人のモノというよりも、その時代その競技に関わった全ての象徴なのだという気がしたのでした。
手のひらに太陽を、心の中に金メダル—。
などと考えていたら、男子フィギュアの羽生結弦選手が見事な金メダルです。
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