ココロ、幻惑されて
またまた続き。自由な心の流動性を獲得し、宗教と芸術は生まれた人類の歴史に幾星霜が過ぎ去って、18世紀半ばから19世紀に産業革命が起こります。工業化で生産方法が大きく変わり、自然のリズムに適応しながら農業など一次産業中心の生活は根本から変化し続けてきました。
けれども1万年以上前に人類が獲得した心の自由さが、その急激な変化によってなくなることはありません。外の現実によって縛られない人間の自由な心は、いつでも非現実的なことを思いついたり実行したりして、内面的に幻想や妄想が絶え間なく発生するようになります。
同じ頃にオーストリアの精神科医フロイトによって、人間心理の理論と治療を追求する精神分析学が創始されました。特に人間の無意識というものに注目し解読していきました。
19世紀末から20世紀にかけて出現したアヴァンギャルド芸術家たちは、心の源泉、意識の深層に注目した作品を発表します。無意識にある世界と意識の深層に下降していく技術者=シャーマンとしての芸術家、というイメージが生まれます。
人間は狂気に陥りやすい性質を持ち、つねに境界にいるのだと言うのです(中沢新一『なぜ、いま脳が注目されるのか~時代は芸術の再編を求めている』)。
学校の授業でぼーっと窓から校庭や空を眺めていたのも、夜の校舎の窓ガラス割った
というのも、そのせいかしらん。
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