映画館で眠る少年は、なぜイサバのカッチャになったのか? その2 ~十日市秀悦さん
『イサバのカッチャ』誕生
十三湖、竜飛崎、十和田湖、岩木山、白神山地。旅は1ヶ月に及んだ。ストーブ列車に乗り、駅舎に寝泊まりもした。
最後の最後にたどり着いたのは、ふるさと八戸。陸奥湊に行こうと思い立ち、着いたのは午前9時頃だった。
「遅かったね、今考えれば」
陸奥湊が活況を呈するピークは早朝2~8時頃。9時といえばひと仕事終えた後なのだが、この頃の十日市は知るよしもない。
「行ったら、人歩いてない。ガキの頃連れて行かれたときは、『ワラシ入るもんでねぇ』
魚に手つけようとしたら、『手つけるもんでねぇ』って、イサバのカッチャはおっかなかったのに…」
ふと見ると、パラソルの下に干ガレイを並べたおばさんが寝ている。
「写真撮ってもいいか」とカメラを向けると顔を上げ、「買うのか」
「いや写真だけ」
「ヘバ(それなら)だめだ」
とまた寝てしまう。こっそり写真に収めて帰った。
東京に戻って陸奥湊の写真を眺めていると、アイディアが浮かんだ。
「よし、これ演じるべ!」
名物キャラクター『イサバのカッチャ』誕生の瞬間である。
工藤さゆり45歳。遠洋漁業に出ている夫と一緒に5人の子どもを育てていて…と設定を考え始めたとき、既にホクロまであったという。東京・下北沢で始めていた一人芝居で、カッチャはデビューを飾った。
十日市の舞台は演目ごとにキャラクターがいて、通して観るとそれぞれがつながっている。『結婚式~本日はお日柄もよく~』は、一人娘を嫁に出す父の独白。妻に『これからもよろしく』と伝えるのだが、最後に笑いが挿入されホッとする。
「今〝喜劇〟がないんですよ。泣いて笑ってという喜劇がないから、それなら一人でやろう、と」
一人きりだから着替える間もない。旅で撮ってきたスライドを流して場をもたせることにしたが、その苦肉の策がかえって受けた。
観客は、八戸にゆかりのない人がほとんどだったろう。それでもカッチャを観ると、田舎に帰ったような気がすると懐かしがった。
「港ごとにカッチャがいる。夕日が丘三丁目じゃないですけど、日本人の心の原風景の一つかもしれません」と十日市。
「そこまで思ってないですよ、本人は(笑)」と茶化すのも忘れない。
東京公演を青森県のテレビ局が取材したことをきっかけに、カッチャはイベントやコマーシャルなどで地元にも進出。2003年から始まった『イサバのカッチャコンテスト』では、第1回から司会を務めてきた。
「だけどもね、言っておくけど3年かかったんですよ。イサバのカッチャが湊に認知されるまで」
初めは、本物のカッチャたちから「オラそんなに汚くない。何アンタ、オラんど(私たち)をばかにして」と冷たい反応が返ってきた。
「そこが難しいところ。お笑いはデフォルメだからね。だけどオラ純粋にやってるから。ばかにしてるわけじゃない」
一つ一つの現場で、真面目にカッチャを演じ続けた。そのかいあって、今では陸奥湊に行くと「これ持って行ってけせ(持って行ってください)」と、差し入れを持たされるほどの人気ぶりだ。
八戸には八戸の笑いがあっていい
十日市は、八戸のコミュニティラジオ局ビーエフエムでレギュラー番組『十日市秀悦のえふりこぎでゴメン』を持っている。歌手の吉岡リサとともに、東京のスタジオに八戸ゆかりのゲストを迎え、ふるさとのトークで盛り上がる。『都会における方言講座』コーナーも人気のプログラムだ。八戸だけで放送していたものが評判となり、いまや関東圏でもオンエアされている。
「東京の放送が決まったとき、『じゃあ標準語っぽくしましょうか』と言ったら、『わかんないところが面白い』と。
今はそんな時代で、中央に合わせる必要ないんですよ。それを自分に言い聞かせながらやろうと思ってます」
八戸には八戸の笑いがあっていい。言葉が違うのだから、笑いのツボが違っていたって、それは間違いではない。
地域間と同じように、世代間で感覚に違いがあるのが面白い、と十日市。幼児から20歳くらいまでと、35歳から上にはカッチャは人気だが、20~30代前半は、あまり興味を持たないのだという。その理由は、市内の小学生の作文を集めた文集『はちのへ』を読むと分かる。昭和52年を境に、八戸弁の文章が消えるのだ。
「それまでは、『カッチャ、カッチャの手は働く手』とか『この手でオラをおがして(育てて)くれで』とかあったのが、なくなるの」
今の20~30代が小学生の頃には、方言は重要視されていなかった。しかし逆に今は、地域性を重んじる時代。カッチャは学校に出向くことも多く、子どもたちに大人気だ。
「小学校で種まいた、その子達がようやく今二十歳になろうとしているんです」と、十日市は顔をほころばせる。
「飽きない」という仕事
東京に出て34年。芸能界でのキャリアは30年を超えた。
一人芝居は脚本・構成も手がけ、生み出したキャラクターは実に50人以上。八戸に埋もれているユニークなキャラクターを掘り起こすことが、ライフワークになっている。東京から着飾って同窓会にやってきては大げさに懐かしがり、仲間から浮いている『ルンルン女』や、出前を運ぶ『十日市食堂のトッチャ』、『イタコのカッチャ』、『アワビ採りの親父』…。中でも一番人気はやはり、イサバのカッチャ。八戸弁と近い方言を持つ南部地方だけでなく、弘前や竜飛、大鰐など、県内各地からお呼びがかかるほどだ。
数えきれないほど舞台を踏む中で、心がけていることがある。
「自分のやってることに飽きないこと。今まで、ホンジャマカとか色んなところでやってきたことが、何がいけなかったかって、新しいもの、新しいものって探してるうちに、飽きてしまった。もっと続けてたらどうだったかって思います」
『継続は力なり』
新しいものを求めるだけでなく、続けていくことの大切さを実感する出来事があった。
2011年3月に起こった東日本大震災の3日後、館鼻岸壁の様子を見に行ったときのこと。あまりの惨状に言葉を失っていると、顔なじみのカッチャに「あんた、今笑顔でやらなかったらだめだべ!」と叱りとばされた。
笑いは被災者の心を救えるのか、かえって傷つけはしないかと悩んでいたが、おかげで吹っ切れた。イサバのカッチャで名取、石巻、宮古を回ると、現地の人々は喜んでくれたという。
「笑いが一つでも多くなるように、お手伝いできれば。カッチャが笑わないと、トッチャ元気出ないから」と話す十日市。
東京で、八戸で、観る人を笑顔にするために、今度はどんなキャラクターが飛び出すのか?
「今、プレッシャーありながらも楽しい時期なんです」 お楽しみは、まだまだこれからだ。(敬称略)
注※②川谷拓三など、東映所属の大部屋俳優たちで結成で結成された。『前略おふくろ様』や『仁義なき戦い』などに多くキャスティングされ、ブームを巻き起こした
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