ポール佐藤の「まちの音まちの色」第8回
芽吹きの春、夏の深緑から秋の紅葉、そして冬枯れと、季節の移り変わりはしばしば人の一生に例えられる。また、お金はまるで血液のように、社会全体を巡り、栄養を届け老廃物を回収しているという例えもよく聞く。
近頃そんな風に、何事も人の身体に例えて考える癖がついてしまった。
そろそろ学生の就職活動が始まる頃だが、就職するしないにかかわらず、人は社会という身体の、どこか一部として生きている。
脳細胞となって、科学者か発明家として人類の進化に携わる者。心臓の筋肉として経済を動かすポンプとなるビジネスマン。目は誰の役目だろう? 未来を見据え、国民をより良い道へ導く政治家であるべきか? 指先となって楽器を奏で、絵筆を操るのは芸術家? 髪の毛は様々にスタイルを変えるからファッション関係かな。力こぶならスポーツ選手で、口なら歌手やお笑い芸人? 無口だけれど黙々とインシュリンを分泌する臓器として生きていく道も尊いし、水際で密輸を阻止する税関職員さながら、病原菌と戦う免疫機構も重要な役回りだ。
ところで小生はどの部分の細胞なのだろう?
微力ながら社会貢献できる位置にいたいものである。いくら必要と言われても、伸びてはすぐ切られてしまう爪の先になるのは何とか勘弁願いたいな。
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