もっと平和と音楽を!
生活に音楽があるような生活環境では全くなかったので、今だにクラシック音楽というとハイソサエティーなイメージを持ってしまうところがあるのが情けないのだが、先日まで放送されていた西島秀俊主演のテレビドラマ『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』を見続けていたし、NHK-FM「×(かける)クラシック」もけっこう聴いている。そこに世界的指揮者の小澤征爾さん逝去の報もあり、音楽のほうが近づいてきたという気がするというのはただ錯覚。
小澤征爾さんと言えば、随分以前のドキュメント番組かなんかでレッスンを受けた学生だったか、「小澤さんの指揮で音が変わる、出なかった音が出るようになる」と言っていたのが不思議でたまらなかった記憶がある。
楽器も演奏者も同じなのに、楽器を持たずに指揮者が手を振るだけで何でそんなことが起こるのか? 何の作用でそうなるのか?
演劇が演出で変わるように、映画が監督で変わるように、音楽も指揮者で変わるのだろうとまでは考えた。ただの音のつながりが指揮によって〈音楽〉になるのだろうと言葉で考えた。そこから先のことは実際の演奏者でないから分からない。
訪ねた市民フィル練習会場のドアを開けてホール内に入った時、弦楽器や管楽器、打楽器の生音に満ちた空間は気持ち良かった。現代で電気で増幅された音響機器を通さない〈音〉を聴く機会は、実はそれほど多くはないのではなかろうか。演奏の善し悪しなど全く分からないのだが、あの生音に包まれる感覚にはある種の幸福感があった。もっと高くあるいは深い幸福を求めて、楽器を奏でているのだろうという気がした。
報道番組でウクライナの音楽家が「平和になるまでは楽器を銃に持ち替える」と語った場面を思い出すと、気が塞ぐのだけれど。
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