じわじわ染みる山田太一ドラマ

脚本家の山田太一さんが11月29日、89歳で亡くなったと訃報を知ったその時には、さほどのショックも覚えなかったというのに、この頃になってじわじわとその不在が心に染みてきた。NHKラジオ〈朗読の世界〉で放送中の、俳優の篠田三郎さんによる『異人たちとの夏』を聴いていることも大きい。テレビドラマを始めとする山田太一作品の数々は、間違いなく自分を形成してきた大事な一部分だった。
テレビドラマでは巷間、向田邦子、倉本聰、山田太一がシナリオライター御三家と並び賞されるが、個人的には、そこに早坂暁さんを加えて四天王としたいかな。
山田さんの作品としては、テレビドラマ『男たちの旅路』(1976~82)、『岸辺のアルバム』(1977)、大河ドラマ『獅子の時代』(1980)、『早春スケッチブック』(1983)、『日本の面影』(1984)、『ふぞろいの林檎たち』(1983~1997)。小説では『飛ぶ夢をしばらく見ない』(1985)、『異人たちとの夏』(1987)。加えて演劇戯曲、エッセイなど多数がある。
今と違ってビデオ録画もできなかったはずだが、テレビ放送されたドラマをどうやって観ていたのだろう。やはりリアルタイムで集中して観ていたか、後に再放送で観たのだったろうか。

稀代のシナリオライターは風貌からも優しそうなイメージなのだが、仕事では「ジェントリーな物腰とは裏腹に、実に辛辣な話をされた」と俳優の中井貴一さんが追悼していた。
まさしくそれは真髄のようなもので、そういう柔らかな優しさと同時に人間を捉える厳しい眼差しがところどころに感じられた。
平凡な日常を描きながら、温かな優しさと冷ややかな厳しさを背中合わせに持った人間の、生きる悲しみのようなものが漏れ出るのが山田太一ドラマだった。
ずいぶん前に、大学時代の山田さんは前衛演劇の旗手の寺山修司と深い親交があったと見聞きして意外な感じがしたのだが、「ホームドラマを作っていく中で、自分の中のシュールな部分が失われた」というような述懐が心に残った。
しかし後に『飛ぶ夢を~』『異人たちとの夏』などの小説で、その一面が発揮される。
『ジャンプ』ではビルから自殺を図って飛び降りた男が地面にふわっと着地して、その奇怪な出来事に主人公自身が衝撃を受け、周囲に理解を求めても断絶と孤独感が深まっていくというようなお話だった、確か。
背中を仰ぎ見る先達はだんだん去って行き、自分の背中には薄ら寒い風があたっている。「お前もいずれそうなるんだよ」と記者に向かって恫喝していた古参重鎮の国会議員がいたが、それはその通りだとして怒鳴って言うべきことでもなく、ほの温かく静かに語りかけてくれていたのが山田太一さんの作品だった。ありがとうございました。

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