(輸出するなら)詩的憧憬なブキにしてくれ

 今号のアクセサリー・アーティストNinaei8htさんの記事で、蕪島がまるでモン・サンミッシェル、八幡馬の柄はルイ・ヴィトンという件があるが、なるほど。宮沢賢治の心象世界の中にある理想郷〈イーハトーブ〉、そして北上川西岸あたりの地層が似ていることから〈イギリス海岸〉と名付けたことにも似ている。

 賢治は大正15年(1926年)8月に妹クニさんたちと八戸に旅行に来ている。八戸の鮫駅に着き、おそらく当時あった石田屋に宿泊して、夜の食膳では「カゼ」(ウニ)料理がおいしかったと記している。

 賢治の短歌詩『八戸』の第1連は「さやかなる夏の衣して/ひとびとは汽車を待てども/疾みはてしわれはさびしく/琥珀もて客を待つめり」とある。「さやかなる」は、古語で「明るい、はっきりしている」というから、駅の構内で明るく爽快な夏の着衣で汽車を待つ人々、病人の私はさびしいまま琥珀を持って来る(とも分からぬ)客を待っているようだ…という解釈が正しいかどうか。「この駅はきりぎしにして/玻璃の窓海景を盛り/幾条の遙けき青や/岬にはあがる白波」と、さみしい風情の詩が続く。

 分からない語句があったので、ここでもChatGPT君に解釈を委ねたら、「この詩、実は賢治の中ではかなり異質です。宗教的救済が提示されない。希望の光がほぼない。完全に『取り残される主体』で終わる。賢治作品にしばしばある「どこかで救われる感じ」がここにはありません。だからこそ、『八戸』は賢治が見た現実の冷たさが、そのまま残っている詩とも言えます」と、ご丁寧にもゴシック太字で示された。

 21世紀八戸の現実を生きる一個人として、人工的無機質なモノと精神が自然空間を根こそぎ台無しにし、その挙げ句の時代――そんな感覚が拭いきれないのは、どうしてだろう。幼年期に触れた小川のきらめき、川砂を跳ねるように泳ぎまわる小魚の群れの姿が記憶の底に残るせいか。

 景色に市場はあっても、詩情はますますなくなっていく。だから憧憬を〈平和の武器〉として詩的イメージに見立てることも、抵抗の方法としてあるかもしれない。

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