チャップリン『独裁者』の名演説
残暑が長く続いたと思ったら、急に肌寒くなっていきなり冬支度。四季の国だった日本は、だんだんと春秋がなくなって二季化していくというのは、次第に現実味を帯びてきた。
目を世界に転ずれば、ウクライナとロシアの戦争状態が終熄の兆しもないまま、今度は中東、イスラエルとパレスチナ間での戦闘開始。世界中の何処を見渡しても、平和な場所が狭まってきている。
島国の日本はほんの一昔前までは、世界の紛争に対して対岸の火事として他人事のように眺めていられた感もあったが、現代のグローバル化は地球上のどこにも安穏としていられなくなったことを突きつける。
国内だって、例えばジャニーズ事務所の問題、旧統一教会の問題、福島第一原発の処理水(汚染水?)海洋投棄のこと、神宮外苑再開発の樹木伐採のこと、日本の防衛費の急拡大、物価上昇と、気が変になるぐらい問題が山積みなのだが、テレビから流れるバラエティ番組は「そんなの関係ねぇ」とばかりの騒々しさ。何事もないかのごとく去りゆく日常の陰に、何かしらきな臭い匂いが漂ういやな感じがある。
チャーリー・チャップリンの映画『独裁者』では、ラストに独裁者ヒンケルと間違われた一市民の床屋が兵士たちの前でする演説は有名である。
「私は皇帝になどなりたくない。支配も征服もしたくない。できることなら、皆を助けたい。ユダヤ人も、ユダヤ人以外も、黒人も、白人も。私たちは皆、助け合いたいのだ。人間とはそういうものなんだ。お互いの幸福と寄り添いたいのだ……。お互いの不幸ではなく。憎み合ったり、見下し合ったりしたくないのだ。世界で全人類が暮らせ、大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。人生は自由で美しいから始まり、「……しかし、私たちは生き方を見失ってしまった。欲が人の魂を毒し……。憎しみと共に世界を閉鎖し……。不幸、惨劇へと私たちを行進させた」とつながる。
人類は今、生き方を見失わぬよう注意深さが求められているのだとつくづく思う。
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