
シクラメンの伝言
昨年暮れの12月に数百円で買った赤いシクラメンの鉢がまだ咲き続いている。ゴールデンウィークを過ぎてもう夏なのに。白いシクラメンの小さな鉢を百円で買って、ピンクの小さなものはおまけでもらったものだった。赤、白、ピンクと揃えた。その二つの鉢の花は冬を越して枯れたが、赤い花だけは、少し枯れかかってお終いかなと思っていたら、葉っぱが再び緑色の艶が良くなってきて、それからまたちょとずつ蕾が増え出した。
その様子を眺めていたので、花が咲かせるためにはやっぱり葉が広く元気でなければいけないのだね、葉が活発であるにはしっかりと土に根張ってないといけないなぁ、としみじみ人生教訓みたいなことまで考えたりした。
ある時、「あんたは、根を張れない」と亡くなった母が面と向かって言ったことがあった。結局のところ根を張りきれなかった自覚があるので、それは息子の不甲斐なさを見通して予言したのか、不満を押さえがたく放った罵詈だったのか。そんな呪詛のようなことをなんで言うのかなぁ、と当時も今も腑に落ちず、とまどったまま今に至る。
人の言動は謎である。
シクラメンの花言葉は白は「清純」、ピンクは「憧れ」「内気」、赤いシクラメンは「嫉妬」。嫉妬? 赤いシクラメンが咲き続けるのは、住人の心の内に不遇を嘆いて他人の幸福を妬む性根が潜在的なにあって、その養分で未だ咲いているのか? まさか。
室町時代の能楽師・世阿弥の芸術論『風姿花伝』の「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」「時分の花(じぶんのはな)」「まことの花」とかつい知ったかぶりしたくなる。ちゃんと読んだことはないのに。
大ヒットした『国宝』がAmazonプライムで配信されていたので、あらためて見直した。劇場では気づかなかった所々もあって、芸能の道の険しさを思う。芸は身を助け、身を滅ぼす。「住(じゅう)する所なきを、まず花と知るべし」という。同じ場所に留まるのではなく、常に変化し続けろと。美もまた人を優しく慰め、また深く傷つけることもあるように思う。



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