歌と希望とリンゴの木
バレエにしても日本舞踊にしても、踊りというものは激しい動きよりもゆっくりした動き、静止することのほうが体力も消耗し難しいのだ、ということを聞いたことがあります。
新型コロナの感染防止で、イベントも仕事も、人との接触も制限されている現在の状況は、例えてみれば静止するポーズを続けている状態でしょうか。つくづく人間というのは社会の中で動いて働く動物だと思います。
もう一つ、全く先が見えないという状況に対する耐性が弱いという自覚があります。「明けない夜はない、止まない雨はない」などと言い聞かせてはみるものの、やはり鬱勃とした不安が湧き出てきます。もちろん自分一人だけのものじゃなく、国中、全世界中の人々が置かれている状況だということですが、そうだからと言って不安がなくなるというものでもありません。
「たとえ明日、世界が滅びようとも、私は今日、リンゴの木を植える」という中世ドイツの神学者マルティン・ルターの言葉は有名で、東日本大震災の時もしきりと思い出されました。終末感が漂う時代であればこそその暗さゆえに、より一層、すがる希望が欲しくなりますが、簡単な解決策もありません。
そんな中でも最前線で戦っている医療従事者には、やはり強く敬意を抱かざるを得ません。自分が動いて役立つことがあればいいのですが、今はせめて厳しい静止ポーズをとることに努力するしかありません。
ただしそれは「自粛」という名の「強制」とは、別な話です。この国の施策で本心から納得できることの少なさに、愕然とせっかく保っている静止ポーズが崩れそうな気がするこの数ヵ月。
リンゴの木を植える行為そのものが、希望につながると考えたい。そこにはきっと〈歌〉があります。
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