人生のペンキ塗り戦略

 残り時間を考えると、とてもなれそうにないのが「成熟した大人」だ。成熟のイメージを思うにつけ、人生経験を積み世間のことを酸いも甘いも知った上で、これから社会にはばたくであろう若人に何かしらアドバイスができたり、突発的なピンチにもにっこり微笑みながら慌てず動ぜず、次善の策で行動する――そのような存在。
 そう思い始めたのも、思想家・武道家の内田樹さんのブログで「『街場の成熟論』まえがき」を読んだからなのだが、その中で心に強く突き刺さったのは、内田さんが、『トム・ソーヤーの冒険』(マーク・トウェインの1876年アメリカ合衆国の小説)にある「ペンキ塗り戦略」に触れた下りだった。
 トム・ソーヤーはいたずらの罰として壁のペンキ塗りの仕事をおばさんに命じられて、いやでしょうがないトムは、一計を案じて友だちが通りかかった時に、面白そうにして懸命にペンキ塗りを続ける。「面白いの?」と訊ねた友だちに、トムは「この世でこれほど楽しいことはないね」と応ずる。「ねえ、ちょっとだけやらせてくれない」とにじり寄って来た友だちに対しトムはにべもなく「ダメだよ」と断りながらも、最終的にトムは「しぶしぶ」ペンキ塗りの苦行を友だちに譲って、自分はほいほいと遊びに出かけてしまったというもの。
 子ども時分に確かにそれを読んで、人生や仕事に対する大事なヒントがあるように思いながらも曖昧にしたまま、記憶の引き出しの奥にしまったまま、ほったらかしだった。
 内田さんが言うのは、人に何か仕事をして欲しかったら、その仕事が「楽しくてしかたがない」かのようにふるまうことが経験的にも必要であり、同様に、子どもたちのうちに「大人になりたい」という意欲を発動させるためには、「大人であることは楽しい」ということをきちんと伝える必要がある――ということだった。
子どもたちをちゃんとした大人に育てたければ、大人たちが楽しく生きているという振るまいが必要なのだと言うのである。
 もちろん無意識的にではあるのだが、これまで「人生は大変だ、大変だ」としかメッセージを発してこなかったのではなかったか――という暗澹として忸怩たる思いが残った。
 生きてきて良かったと思えるのが人生の成熟ではあるまいか。
 「人間は幸福になる〝義務〟があるのだ」と青臭く考えたこともあったのだ。それから長い年月を経て、不幸ではないとしても、幸福だと言い切る確信が持てていない。次世代につなげて手渡そうにも、そのバトンに手触りがなく朦朧として頼りない。
 成熟した大人というときに、イメージとして浮かぶのが『グラン・トリノ』『クライ・マッチョ』などの円熟味のある俳優・監督のクリント・イーストウッドだったりするのだけれど、それにはメキシコ国境のように遠い。「若者たち」のみならず老人たちの行く道もまた、はてしなく遠いね。

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