家なき人々
自宅を6年前に失いました。重苦しそうな話をここで披瀝するのはどうかとも思いますが、ホントだからしょうがない。そもそも取材と称して人のことは根掘り葉掘り聞いて、自分のことを開示しないのはどうなのよ、という気分もあります。立場にあるかどうかはともかく、現政府の答弁をお手本として、詳細な事情は「差し控えさせていただき」ましょう。人の不幸は蜜の味と申しますが、純度15%程度の蜜。時節柄、30蜜を避けまして……?。
今は人様の親切にすがって借家住まい。推奨される職住近接を通り越して、職住密着。リモートワークを先がけて実践して、便利っちゃ便利この上ありません(開き直ったツヨガリでしかありません)。
白状すれば、当時の足もとが崩れ落ちていくような感覚から未だに抜け出せていません。だから、今年の新型コロナ禍はじめ途切れずに起こる災害で、住む場所もなくなった人たちが大勢いることには他人事でなく心が痛みます。
「STAY HOME」と言われたって、そのホームがなければ途方に暮れるより仕方ありません。やっぱりそれを「自己責任」だと切り捨てるのでしょうか。
来年は東日本大震災から10年。復興どころか復旧にも届いていないと思っています。同時に、震災前やコロナ以前に戻ればそれでいいのかとも思います。
路上生活者を支援する『ビッグイシュー』という雑誌がありますす。「〝家なき人〟とともに」をスローガンに『コロナ緊急3ヵ月通信販売』を数度にわたって行っています。せめてもと思い参加申し込みを続けています。最新刊の『THE BIG ISSUE JAPAN395号』では米国の歌手アリシア・キーズのスペシャルインタビュー、過去には英国のロックバンド「クイーン」のボーカル、故フレディ・マーキュリーが表紙を飾って完売するなど、ワールドワイドな記事も充実しています。関心のある方はぜひ検索してみて下さい。
建物の〈家〉もありますが、家庭、家族としてのイエもあります。
名匠の誉れ高い英国のケン・ローチ監督の最新作映画『家族を想うとき』(原題: Sorry We Missed You)を観ました。家族それぞれの想いが切なく身につまされました。
「幸福な家庭はどれも似たようなものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」というトルストイの有名な言葉があります。トルストイの生きた19世紀には「幸福な家庭」の概念に定型があったでしょう。その型は違っても日本でも同様でしょう。
しかし21世紀の現代、「家庭」も「幸福」も人それぞれ、多様だし、それでいいのじゃないでしょうか。金子みすゞさんの詩のように「みんなちがって、みんないい」(『私と小鳥と鈴と』)のでしょう。ツリーハウスに住もうとどこで暮らそうと、いいじゃないの幸せならば、ね。
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