ジーパン学長・大谷真樹『八戸ライフスタイルのすゝめ』


八戸の海

5時の目覚まし時計としばし格闘後、愛しい布団をはねのけ目を擦りながら車のエンジンをかける。音楽はお気に入りのJack Johnson。まだ暗い街中のコンビ二でコーヒーを買い一路海岸へ。葦毛崎展望台の駐車場に車を停めながらコーヒーを飲み終え、白い息を吐きつつ帽子と手袋で完全装備。冬でも日差しは強烈なのでサングラスは忘れられない。6時に走り出すとやがて東の空が白み始める。ランニングのスピードはキロ6分、早足より少し早い程度で体は暖まっていないけれども5分もすると体の節々が目覚め始める。
 海を眺めながら歌を口ずさんでいると、東の空はドラマチックに染まり、海面と雲の間から待ちかねた朝日が昇り始める。冷えきった頬に太陽のエネルギーを直接感じる感動の瞬間だ。
 あっという間に全身は太陽の恵みであるエネルギーを浴び生き返り、太陽のその偉大さを改めて感じる。それは、日の出る国日本、そして素晴らしい海岸線の道を持つ八戸で暮らして良かったと思う瞬間だ。

八戸で生まれたあと、父親の転勤で県南と津軽の生活を経験し、東京での大学生活、東京大阪のサラリーマン時代、また仕事で訪れた海外は65ヵ国。思えば51年の人生でずいぶん多くの土地を見てきたものだ。
 そして今、即座に断言できるのは、その多くの訪ねた土地の中で八戸がいちばん素敵である事。これは間違いない。
 厳しい冬もあるがそれ故に魅力的で豊かな四季。太平洋、日本海、津軽海峡、陸奥湾という四つの多様な海がもたらす海の幸、地形による寒暖の差が野菜や果物に天からの恵みを与えてくれる農作物、山の神たちと分かち合う恵まれた森と山の幸。そして遅ればせながらも新幹線や高速道路などの産業インフラも整い、90年代からの情報通信革命は首都圏との情報格差をほぼゼロに埋めた。首都圏から八戸へ進出する情報通信関連企業も増え、若者たちの知的好奇心を満たせる職場も増え始めている。
 かつて私が子供の頃は、目指すは花の都東京であり、その先にはまだ見ぬ憧れのアメリカが輝いていた。東京で暮らす事学ぶ事がカッコ良く、常に眼差しはその先のアメリカを見つめていた。


八戸の海

あれからおよそ30年、しばらく振りに帰ってきた青い森の県、そして海の街八戸はとても魅力に溢れた街に大きく変わっていた。いや実はあまり変わっていないのであろう。変わったのは心の中の幸せや豊かさの基準だ。リーマンショックでのアメリカ型資本主義の終焉が、私たちに本当の豊かさと大切なものを問い直し、東日本大震災がその問いへの答えを確定させた。

白浜海岸の端で折り返すと丁度6キロのスロージョギング。汗をかきながらも冷えきった体を解凍するには朝5時から開いている地元の温泉に限る。ゆっくり今日の予定を組み立てながらワイシャツに着替え大学キャンパスへ向かう至福の時間。
 こんな素晴らしい時間はニューヨークでも島のリゾートでも味わった事が無い。今やTOKYOで働く事はカッコ悪いのだと断言しよう。


マリーバコーヒー

関連記事一覧

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。