不条理にもほどがある!
宮藤官九郎脚本のTBS金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』は、主演の阿部サダヲが1986年から2024年の現代へとタイムスリップし、タイムマシンで行ったり来たりするというミュージカル付コメディで話題になっている。
個人的には昭和という時代に対して、それほどの愛着や憧憬はないのだが、コンプライアンス(法令遵守)がかまびすしく言われる今よりは雑でゆるやかな分、時代として自由な気分がなくもなかった。もちろん同時に、光の強さと比例して影も濃くなるように、暗く重苦し側面もあった。
当時の暮らしを思い出して、今と比べてみれば驚くほど違ってきたことは多くある。タバコ一つとっても、古い映画やドラマを観れば、どれだけ多くの人が所構わず紫煙を吐いていたかが分かる。客人が来れば、すぐに座卓に灰皿を差し出すほど、タバコを吸うのがあたり前の時代もあったのだ。今はまだお目こぼしされている飲酒についても時代の流れからすると、いつかは禁酒法とまでいかなくとも現在の喫煙者のような立場になっていくのではないかと思っている。お酒を飲む人は飲酒席でとか。常識などはあっという間に変わるものだろう。
「縦の糸はあなた、横の糸はわたし」じゃないけれど、縦の糸は時間軸で横の糸は空間と考えると、人間の一生はいつの時代にどこに生まれたかで大方は決定されるのかもしれない。それは生の運勢、人間が変えることができない大きな流れを背っている宿命というもので、その宿った命に向き合い、自分の在り方、生き方によって人との出会いも変わり自分の人生も変わるのが運命だともいう。
それはそうかもしれないと思う一方、たとえば今見せつけられているイスラエルのガザ地区に暮らしてきたパレスチナの人々にはどんな運命(選択肢)があったと言えるのだろうか。すでにパレスチナ人の死者は3万人に近づき、その4割以上が子どもたちだという(正確な数字はわからない)。八戸えんぶりが始まった現時点で、イスラエルの指示によってガザ住民は、南部のエジプトとの境界にあるラファにまで人々を追い込まれ、イスラエル軍はさらに攻撃を加えようとしている。戦争前には約25万人だったラファで、推定150万人が避難生活を送っているという。かつてホロコーストを体験したユダヤ人たちによって建国されたイスラエルが、今度はパレスチナに対し同じような殺戮を行っていることに、身が震える。
目を自国に転ずれば、裏金問題、旧統一教会問題などでコンプライアンスを果たしていない政権からコンプライアンスを強いられる国民の我々がいて、これが不条理でなくて何であろうか。不条理にもほどがある!
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