どこから?誰?どこへ?…知らんがな

辰年2024年の年越し穏やかだと思えていた――元日の夕刻4時過ぎ頃までは。能登半島地震のニュースが流れるまでは。ウクライナ戦争もイスラエル、ガザ地区パレスチナの悲惨な状況もあるが、正月元日ぐらいは深刻な問題は少し横に置いて、お屠蘇気分という時。
自然災害は時と所を選ばない。正月だろうと何だろうと、人間の営みとはお構いなしなのだと厳然たる事実を突きつけられた年明けだった。人間がコントロールし解決できるのは人間自身の問題だけだ、だから戦争とかはもう止めようよ、自然界の天変地異に対応するだけで手一杯じゃないか――と考えたとしても、実際には目の前の一人に向かって気に入らないことがあれば腹を立てたりもしている。
そういう中での1月17日、阪神淡路大震災から29年が経った。30歳以下はその震災を経験していないし、もうすぐ13年目となる東日本大震災も小学生以下にとって実感のない過去の出来事だ。歴史的な経験を伝えることは難しいものだと思う。仕方のないことだと思う。我々だって近々の過去にあった戦争や災害をきちんと伝えられてきたのか、それを十分に受け止めてきたのか。
取材させていただいた天野佳子さんはタヒチアンダンサー。タヒチと言えばポール・ゴーギャンの名画が呪文のようについ口をついて出てくる。『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』――おそらく答えは出ないが、「知らんがな」と全くの無関心でもいられない。そんな1年になるのかも知らん。

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