トリオ★ザ★ポンチョス ありがとう10周年! インタビュー(後編)
初のオリジナル曲は吉幾三さんによるもの。そして、せんべい汁の神さま降臨?
2002年12月に東北新幹線が八戸まで来たとき、吉幾三さんとゴルフに行くことがあって、軽い気持ちでお願いしたんです。「わーだぢ、トリオ結成したはんで、新幹線開業で八戸ば盛り上げる歌、作ってけらいねぇべが? (僕たちトリオを結成したから、新幹線開業で八戸を盛り上げる歌、作ってもらえないですかねぇ?)」。
そしたら1週間くらいで電話来て、「うっちゃん、でぎだはんで(できたから)」。電話越しにいきなりテープ丸々1曲聴かされまして。できたのが『プリーズ・カム・トゥ オール・トゥギャザー』。
まこと
すごいでしょ。初めてのオリジナルが吉さんの歌だよ。この横文字かげんとか(笑)。
『県南おもしろ事件簿』初代キャップの濱舘(明)さんと木村(聡=現八戸せんべい汁研究所事務局長)さんが、桜木町にあった焼き鳥屋で仲良くなって、木村さんがせんべい汁を持って番組に来るようになった。せんべい汁おもしろいよね、曲があればいいねって盛り上がって、曲ができるわけです。
2003年です。
うち
まず詞ができたんです。
みか
さぁ寝るかって電気消して布団に入ったら〝降りて〟きたの(笑)。「あ~っ!」って電気点けて、ワーッと殴り書き。たぶん15分もかかってない。
翌日、詞のファックスが送られてきたんですよ。
なんだコレ?レシピみたくなってる、へぇ〜って。ちょうどここ(※③サウンドファクトリーデュオ。まこっちゃんの活動拠点で、1994年に自ら設立。スタジオ兼楽器店。)にいたので、ギター片手に、ちょっとロックンロールに作ってみたんです。ノリのいいリズムにしたい、と。普段は普通にさわやかな(笑)ポップスをやってるから、とにかく遊ぼうと思って作りました。
みか
あの頃は八戸せんべい汁って県外どころか県内でも知られてないから、まずは県内で広める努力をしてました。ラジオで紹介したときも「せんべい入れる必要ないでしょう」っていうハガキを何十枚といただいて、8割が津軽からで。あと「そんなにおいしいならと思って豆せんべいを入れてみたら合いませんでした」とかってハガキもきて、びっくり! 鍋専用のせんべいを入れるって、なんぼ喋っても分かってもらえないから、「曲だば分かるんじゃない?」って思って。歌詞にレシピ書くしかなかった。
私にも降りてきました(笑)。番組収録で青森から八戸に向かう途中、車の中で、せんべ〜い、じる♪の(両手でせんべいの輪を作る)サビの部分が最初にきたんですよ。そこから前、後と考えていきました。
デスコ(ディスコ)世代なもんで(笑)。デスコダンスの大会で東北チャンピオン(!)になったりとかして。踊るのは好きだったんです。でも振付するのは初めて。
みか
よく見ると内山さんの腰つきは全然違いますよ!
第1回B-1グランプリ八戸開催。「好きだDear! 八戸せんべい汁」メジャーデビューへ。
05年の秋、六ヶ所村で行った公開録音に、東京の広告代理店の人が来たんですね。その時もせんべい汁のお振る舞いをやってて、食べて「おいしい」と。加えてこの曲がおもしろい、と。これはたぶん全国に通用するからやりましょうということで。サングラスかけたいかにも怪しい風体だったから、これは絶対だまされると最初は警戒していたんだけど(笑)。06年9月21日にテイチクエンタテインメントからデビューしました。
うち
「せT」(正面に〈せ〉の文字が入った人気のオリジナルTシャツ)もこのとき作って、プロモーションビデオも撮りました。
まこと
この年B-1グランプリも始まった。
うち
勢いでB-1グランプリのテーマも作ったんですよ。前夜祭で初披露しました。
みか
周りは田んぼだわ、2月で気温は氷点下10度近く。北九州小倉から来た人なんか泣いたそうです。「こんなとこに人来るわけない。来るんじゃなかった!」って。でも懇親会でテーマソングを歌ったら、感激してくれた。
翌日フタ空けたら、1万7千人も集まって大成功だったし。
みか
小倉の人、最後には感動でまた泣いたそうです。「帰りたくない」って(笑)。B-1グランプリでゴールドを獲得したのがその小倉の北九州大会だったというのも感慨深いです。
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