地方で生きていることは すごく幸せなこと〜吉川 由美さん(はっち文化創造事業ディレクター)


吉川由美さん

土地に根付く人々の、生きる姿を

「まず地域があって、そこで暮らす人が居て、みんな一人一人が主体になって、ちゃんと生活の中の実になるようなやり方が出来ないかなと思ってやってきているのは一貫しているんです」。
 『アートによるまちづくり』について吉川由美さんはそう話す。
 コロコロと変わる表情と快活な口調がなんとも魅力的、実にポジティブでパワフルだ。
 それは、地域の人々が自分たちの住んでいる町の文化やそこに根付いているモノ、資源素材の存在価値を見直すことのきっかけづくりへと繋がっている。
 例えばアートプロジェクト『生きる博覧会』は、山間の小さな町で蕗を採るおばちゃんたちや、海沿いの町で海藻を集めるおばちゃんたちなど、これまで光の当たって来なかったその土地に根付く人たちの〈生きる姿〉を見せたいと思うことから始まった。
 「小さな地方の町の〈生きる〉と都会の〈生きる〉とそういうのをきちんと繋げていかないとダメだなと思うんで、私たちはアートの側面からそれをみんなに見せたいなと思って」。
 吉川さんが行っているのはアートをツールとした〈人おこし〉なのだ。

仙台を拠点に自ら主催するダハプランニングワークスで様々なイベントや舞台演出を行ってきた吉川さんが、アートとまちづくりを結びつけるようになったきっかけは、1991年に(青森県)森田村に円形劇場が出来たときに行った『うんどこ』コンサートだという。
 「あの時が原点です。地域の人、1500人に出ていただいたんですけど、アーティストと同じ場所で何かを作るって本当にクリエイティブだし、地域の方がアーティストよりクリエイティブなことっていっぱいあるんですよね。アーティストにとってもすごく沢山の発見があって、そこでインタラクション(交互作用)があるから面白いんだなと思って。それを青森で教えていただいたんで。アーティストより地元の人がメインっていう考え方は他の人たちとちょっと違うところかなと」。
 その経験が、山形新幹線のディスティネーションキャンペーンでの地元ガイドによるトレッキングや、仙台市卸町の昭和40年代の倉庫をそのまま活かした〈はっぴぃ・はっぱ・プロジェクト〉などへ繋がっている。
 「アートだから、利害関係がないからすーっと入っていけるっていうのがあって。お互いのことを知ってはいるけどあまり話をしなかったのが、そういう活動によって本音でトークできるベースが出来ていくと思うんですよね」。
 自身の活動は、人が繋がるきっかけ、裸になれるきっかけの提供であって、作るのは地域の人が主体。そうじゃないと意味がないと話す。
 おそらく吉川さんの根底には、近代化し消えていく町の文化や風習を残し、継続していきたいという想いがあるのだろう。
それははっちのアートプロジェクトにも表れている。

八戸の奥深さに魅せられて

「八戸って手つかずのものがたくさんあってビックリ。三社大祭も食文化もすごい独特だし、街に行って人の素晴らしさ、深さっていうのをものすごく感じますね。なんかすごい街だなと思ってビックリした。それではっちに来るアーティスト、みんな気に入ってくれるので。人の温かさに。本当に思います、それは」
 吉川さんは、青森には仕事で何度も訪れていたが、はっちのディレクターになるまで八戸には来たことがなかったという。
 さらに、八戸は港町としての長い伝統や文化が生活の中に息づいている町だと言う。
 そんな町の姿がそのまま形として見えたのが『八戸レビュウ』。市民ライターとプロのカメラマンによる、地域の人の日常がクローズアップされた写真と文章から、改めて〈まち〉は〈人〉だと感じたという。
 「『八戸レビュウ』は八戸のバックグランドが全部写っているんですよね。でも、それをやっているのは全部八戸の人。人こそ八戸だから。それがすごい輝きを放っていると思います」。
 吉川さんのその言葉に八戸レビュウを見た時に感じた共感を再度思い出した。
写しだされているのは自分の日常であり、書かれた文章も自分の日常だ。
 その日常が八戸から全国へ発信されることになった。
 八戸レビュウが再構成されて写真集として7月に出版された。
 さらに、8月には現代美術の国際展「ヨコハマトリエンナーレ2011」の「新・港村」においても、『八戸レビュウ』展を開催することになったという。一自治体としては異例のことだ。

人と地域、アートの力が町を作る

宮城県を拠点に日々、忙しく活動する吉川さんは現在、3月11日の震災で甚大な被害を受けた南三陸町の復興支援に奔走し、物資支援だけでなく、復興市の運営に参加するなどしている。
 さらに「南三陸の海に思いを届けよう」というタイトルで5月11日追悼集会を主催し、ユーストリームで中継を行った。
 それは一般の人に伝えるためではなく、震災から数ヶ月経ち、断腸の思いで町を離れた人たちや気丈に頑張ってきた地域の人たちが自分の内面に向き合い、感情を放出し時間を共有する場なのだという。
 耐えて頑張るだけでは心の糸が切れてしまう。そうならないための鎮魂と再起の誓い——。
 吉川さんは「ささやかだけど心の励みになれば」と笑う。
 お仕着せではなく、独りよがりでもない吉川さん流のアートによるまちづくりは、地域の人々に自分たちが住む町への誇りや存続の意識を与えたのかも知れない。

 吉川さんは「地方の小さな町で生きていることはすごく幸せ」だと繰り返す。そこに住む人々が連綿と受け継いできた風土や文化が作り出した町はその土地にしかない豊かさなのだ。
 アートを介して世代も性別も関係なく、同じテーブルでコミュニケーションが取れる場所作り。
それが吉川さんが考えるアートなのだ。だから、吉川さんのアートによるまちづくりプロジェクトはどこか懐かしく、温かい。
『まずは人と地域あり』といった言葉が心に残る。
「この町に住んでいて本当に良かったと思える、自分たちの町をフルに楽しめる町にしたいですよね。それが課題です。アートはどういう時でも絶対に必要なものですよ。こういう困難な時だからこそ、人の心を動かすアートの役割はすごく大事なんだと思います」。
 吉川さんのパワーの源は人であり、地域であり、そして、アートの力への揺るぎない確信なのだ。

●CAP
宮城県本吉郡南三陸町。5月29日に開催されたの第1回『福興市』。あいにくの雨だったが、全国各地から多くの地域団体が支援に集まった。

「八戸レビュウ」
八戸ポータルミュージアム「はっち」の開館記念企画の一つで市民ライターとプロ写真家による展覧会。2011年2011(平成23)年2月26日〜3月30日に開催された。88人の一般市民ライターを公募し、身近な人を対象に取材執筆し、梅佳代、浅田政志、津藤秀雄の3人の写真家が撮影した。市民ライターの執筆にあたっては作家の木村友祐、クリエイティブディレクターの佐藤尚之氏が指導にあたった。
三沢市出身の森本千絵さんがアートディレクションを担当し、7月16日に写真集「八戸レビュウ」として美術出版社から発売。8月6日〜31日、現代美術の国際展「ヨコハマトリエンナーレ2011」の関連企画「新・港村」において、「八戸レビュウ」展覧会開催が決定している。

南三陸町では、毎月最終日曜日に『福興市』を開催することにしている。その第1回目が、5月29日に開催、八戸せんべい汁研究所、横手焼きそば暖簾会などB-1グランプリご当地グルメの団体(愛Bリーグ加盟)が出展した。全国各地の団体から支援申込みを受けている愛Bリーグでは、調整を図り今後も継続して出展することにしている。

4月30日、炊き出しの支援活動に来た八戸せんべい汁研究所・木村聡事務局長と宮城県南三陸町志津川の避難所で合流。吉川さんは震災からすぐに南三陸町に入り支援活動を続ける。「生まれて初めて一週間以上風呂に入っていないのよ(笑)」と周囲を明るく和ませる。

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