クテテヘネガラナゲネデケロ

演劇公演『スカシユリの丘の向こうへ~ユタよお前はどこへ行く』は久々にホールで演劇を観たという気がしました。コロナ禍でなければ、カーテンコールももっと長く続き、出口でもきっと観客と出演者・スタッフが交流できただろうにと思いました。
その舞台に登場した座敷わらしたちが「わだわだ、あげろじゃ、ががーい。わだわだ、あげろじゃ、ががーい」(我だ我だ、開けて開けて、お母さん!)とくり返し発した呪文で思い出した言葉がありました。
美しい聖女像や長崎にある「二十六聖人殉教者像」などキリシタン受難を題材とした彫刻作品で著名な日本を代表する彫刻家・舟越保武さんが覚えているという言葉です。
1912年(明治45年・大正元年)岩手県二戸郡一戸町小鳥谷に生まれた船越さんは、2002年(平成14年)に89歳で亡くなっていますから、ちょうど没後20年。子どもの頃から意味もわからず呪文のように刻み込まれていた言葉が「クテテヘネガラナゲネデケロ」、つまり「食べたいと言わないから、捨てないで下さい」。
インタビュー記事を読んだときの苛烈な印象で今も記憶に残り、口減らしという座敷わらしの悲しい出自から再び思い出したのでした。
それとは別に心配事。イチャモンをつけているわけではもちろんないのですが、主人公のユタから離れた座敷わらしたちは、これからどこに行くのだろうと……。八戸から去って行くんかい? そしたら中心街の地盤低下が心配されている八戸の今後はどうなるん?という不安がよぎったのでした……。
耐震工事などで休館もあった八戸市公会堂の文化ホールで演劇を観ること自体が久しぶりだったからか、1975年の開館当時にダンサー(舞踏家の呼称をご本人が否定しているらしく)・田中泯さんがほぼ全裸で行った、かつての公演も記憶に蘇りました。俳優としても高く評価される田中さんは、「よく存在感があるとか言われるが、自分はその存在感だけを求めて踊ってきたのだから」と言っている記事を読み、うーんなるほどと思ったりしながら、存在感って何だろうとつい考えてしまったら、夜も眠られない……というのは真っ赤な嘘ですが、でも存在感、存在って何でしょう? 辞書で引いても「あること、いること」と身も蓋もない。自分自身の存在がたまに頼りなく心許なく感じられる時があるのは、自分だけなのかどうか?
『存在の耐えられない軽さ』という昔観た映画のタイトルもまた思い出しました。物語もうろ覚えになってしまいましたが、冷戦下のチェコスロヴァキアの民主化運動をソ連・ワルシャワ条約機構軍が軍事侵攻で弾圧したプラハの春(1968年)の話でした。思い出すことが多くなるのはやはり老化なのだろうと思える、2022年八戸の初夏。

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