100号。
どんなにつっぱらかっても、1人では何もできないことは身に染みて思います。何をどう威張ったところで、1人ではまったく無力です。平面の紙になにがしかのテキスト、イメージを構成したとして、それを印刷製本すること自体、発注しなければできませんし、出来上がった本を納品してくれる運送業者さん、それを書店、コンビニ、パートナーズさんに届ける仕事があり、それを手に取って読んでくださる、また一瞥して少しは気に留めて下さる方もいなければ、何の関係もなく何の価値も生まれません。
ましてや今のデジタル化、IT、SNS全盛の時代に、ペーパーメディアの意味はあるのか、そんなラジカルな問いも抱きます。
意味も価値もあるはず――そう思いたい。客観的分析的に考えていったいどうか、確信はもてません。余りに、小さく届く範囲も限定的です。数からしたら、何万アクセス、何十万アクセスといったメディアの比ではありません。主張したいことがあるならSNSの方がてっとり早く広がりを持てるわけですから。 それでもなお、紙媒体は代えがたい直接的、感触(身体)的なコミュニケーションツールだと思っています。少なくとも今のところは――。
100号になりました。
これまで関わって下さった皆さまのおかげです。
本当にありがとうございました。
変わらず多忙な又川俊三さんに、不遜にも「100号の節目なのでぜひに」とお時間を作っていただき、時代の空気感を思い浮かべながらじっくりとお話をうかがうことができました。太平洋戦争敗戦77年の今年は特に、ウクライナ戦争、台湾有事、核使用の懸念と日本を取り巻く状況も大きな変化の局面にあるように思います。戦争など対岸の火事とばかりに安穏としてばかりはいられません。又川さんと同じ1944年生まれで、東日本大震災で引退の考えを捨て現役続行している写真家・文筆家として藤原新也さんもいます。
元気で活動する先達の存在は、続く世代にとって何よりの生命のビタミンです。この紙媒体が「手描きポスター」と同じ役目を果たせれば、などとおこがましくも思ったりしています。
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