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未来を拓く言葉 〜「僕にまかせてください」 青森県太陽光発電システム優良施工研究会会長 佐々木 登さん(有限会社佐々木電気工事代表取締役)


佐々木登さん

一歩踏み込まないと、次が見えてこない

2012年7月6日、県内の44事業者が集まり「青森県太陽光発電システム優良施工研究会」が設立された。初代会長の佐々木登さんは、自社が住宅のオール電化事業、太陽光発電システム施工と、新分野へ積極的に参入し、施工実績を積んできたことで評価されている。
 「ソーラーパネルは普及してきたけど、施工不良もあるし、説明不足、業者の知識不足もある。青森県は寒冷地だから、パネルの素材にも気を使う。不良工事を防いで、地域に合った太陽光発電を普及していきたいと思っています」
 抱負を語る佐々木さんは作業着姿で、よく日焼けした顔に柔和な笑顔を浮かべている。誤解を招く言い方かもしれないが、あまり〝社長〟然としていない。伝わるのは、あたたかく、やわらかな空気だ。

〈ミスターオール電化〉の異名をとる佐々木さん。オール電化に着手したのはバブル景気が去った15年ほど前から。東北電力、エルクと一緒にオール電化の普及事業を始め、その後、電化普及協力店「エルパルショップ」に加盟した。
 当初はコスト高のため普及が進まず、「儲からない」と同業の仲間は消極的だった。機器の進歩と料金システムの確立により、安く無駄なくエネルギーを使える現在とは状況が大きく異なっていた。しかし佐々木さんは仕事量を確保するため、新たな分野にチャレンジした。
 その後、日本の景気はますます低迷。当時の電気工事業界では、元請けの工務店から住宅の工事を受注するスタイルが一般的。新築住宅が減って元請けの価格競争が激しくなると、しわ寄せはそのまま下請けに回ってきた。
 このままでは立ち行かないと、広く一般ユーザーにもPRしようと決意。2006年、八戸市中心街に近い城下地区にオール電化事業部を立ち上げた。佐々木さんは当時をこう振り返る。
 「大ばくちでした。同業者仲間からは『そんなの作ってどうする』『仕事回してもらえなくなるぞ』と言われて」
 
 土地、建物の費用、仕事を失うリスク。その上、20代の新人を所長に抜擢する。現在オール電化事業部所長を務める畑中寿之さんを連れて事業部予定地を訪れ、言った。
 「お前に任せるから、ここで新しい仕事をしてみないか」
 「はい。僕にまかせて下さい」
 畑中さんが答えた。
 


木工職人が作る丸椅子

それから6年が過ぎた。東北電力のPRもあり、オール電化事業は伸びた。2003年から太陽光発電システム施工も始め、有力な住宅建設会社からも依頼が来る。
 「結果は、言われたこととまるっきり逆だった。誰が何を言っても、思い切りやってみた方がいいと確信した。一歩踏み込まないと、次の展開が見えてこない」
 佐々木さんは、オール電化と畑中さんに賭けた。リスクを取る勇気が、突破口をつくる。言うのは簡単だが、実行は容易ではない。
 「『僕にまかせて下さい』って言われたら私は賛同します。自分をよくしたいという心があるから言うわけでしょう」 

「僕にまかせてください!」と言える覚悟

「僕にまかせて下さい」
 佐々木さん自身、数えきれないほど口にしてきた。初めて施工する工事でも、難しい案件でも、金もコネもない中で独立したときも。この一言で道を切り拓いてきたのだ。
 「自信がない奴に頼むのは、お客さんだって不安でしょ。だから言うの」
 言った以上は責任が生じる。
 ピンチはチャンスかもしれないが、チャンスを掴むには、前に出ることだ。引きたくなったときこそ、一歩踏み出すことを、佐々木さんは積み重ねてきた。
 「できなかったらどうするって? それ考える前に一歩踏み越えちゃってるんだよね。おれ、アホだから(笑)」
 「僕にまかせてください」と言える覚悟。それは「何をやるかより、やると決める意志が大事」ということなのだ。

意外なことに「僕は技術向きじゃないんだよね」と佐々木社長は笑いながら言う。
 「電気工事じゃなくてもよかったんだよね。例えば板前の話が先に来てたら、そっちに行ってたんじゃないかな。そういう家系だと思いますよ」
 佐々木さんが言うのには理由がある。父親が和菓子の職人だった。市内で菓子店を経営していたが、事業に失敗し、全てを失った。中学2年の佐々木さんは両親と2人の姉、兄1人、そして3人の幼い弟とともに借家を転々とした。
 「男はダメだ。弱いよ。でも、女は強いよ」
 
 倒産後も父には、職人としての仕事の依頼が幾度かきた。出かけて行くが続かない。数日出勤すると、あとは家にこもってしまう。「おれのやり方と違う」「おれには合わない」 そんなことばかり言った。
 しかし母は違った。イサバ(仲買魚商人)でも土木工事でも、なんでもやる。なんとしてでも7人の子どもたちを育て上げる。強い決意がそこにはあった。
 そんな母の背中を見ながら。佐々木さんも一つ年上の兄とともに新聞配達・集金を始めた。昼間は働き、八戸商業高校の夜間部に通う。16歳のとき、アルバイト先の先輩に電気工事会社を紹介された。こうして電気工事の道に足を踏み入れた。
 「貧乏しているとさ…」
 佐々木さんは明るく言う。
 「ほかの仕事を探そうったってできない。目の前の仕事をやらざるをえないわけですよ。給料が下がるのは困るから」
 家族を支え、弟たちを学校にやるため、目の前の仕事をひたすら続ける日々。辛くなかったわけはないのに、懐かしそうに話す。「貧すれば鈍する」なんて言葉は無縁のようだ。現代の風潮である、自分の内側にこもる〝自分探し〟の対極。社会と正面から向き合う、たくましい生き方だ。
 17歳で電気工事士の資格を取得。しだいに独立への気持ちが強くなった。21歳で独立し、翌年、県の登録電気工事業者となった。
 「最初に苦労したのは、給料が払えないこと(笑)」
 
 仕事を請け負っても、支払いは1ヶ月以上先。何も知らずに独立した佐々木さんは、その最初の月、慌てて元請けに支払いを早めてほしいと頼んだ。ひどく叱られた。
 「そんなことではやっていけないぞ!」
 悔しかった。
 「誰に対しても二度とこんなことはしない」と誓った。それ以来、生活を極限まで切り詰めて支払いを優先した。この40年、一度も支払いが滞ったことはないという。

もう一つの口ぐせ、「人生楽しまなきゃ」


佐々木登さん

佐々木さんのもう一つ口ぐせが「人生楽しまなきゃ」だ。どんなときでも楽しんで生きていれば、どうにかなる、と言う。
 その〝楽しさ〟には、もう一つ大切な意味がある。
 「楽しいかどうかは、他でもない自分の心が決めるわけですよ。絶対に。他の誰かが決めてくれることじゃない」
 当たり前のようだが、そう簡単でもない。苦しいとき、辛いとき、考えることすら面倒になって、自分の気持ちすらも誰かに委ねてしまいたくなることが人にはあるからだ。

 判断を他人まかせにしないということは、誰のせいにもできないということだ。その代わりに、たとえ他人から見てどんなに苦しい状況でも、自分で楽しみを作りだすことはできる。自分で自分の人生に責任を持ち続ける限り、心は自由だ。自由でいるには、自分というものを手放さない強さが必要だ。
 
 「でもさ、人には向き、不向きってあるでしょ。私は技術がどうも苦手で(笑)。苦しい技術の部分は、従業員ががんばってくれてるんだよ(笑)。それとうちのおカアちゃんが、えらいから」
 一緒に会社を支えてきた、てる子夫人への労いを忘れることがない。「夫婦の仲が良くないと、事業は絶対に成功しない」というのも、佐々木さんがよく口にする言葉である。
 プライベートでは、50歳を目前にしてダイビングに夢中になった。48歳でハワイを訪れて以来、サイパン、オーストラリア、バリなど、3年前まで毎年海外を訪れては、潜ってきた。「20メートルの深海は、モノクロの世界なんだよ。光の波長が届かないから」
 
 ダイビングの話になると、少年のように無邪気である。

環境先進国ドイツで

3年前、ドイツの蓄熱式暖房機メーカー「オルスバーグ」の招待で、ドイツに赴いた。ドイツの住宅では、屋根が共同だ。お金を出し合って太陽光パネルを上げている。断熱性能については、はるかに基準が厳しく、暖房は薪ストーブとペレットストーブが主流。15世紀、16世紀に建てられた住宅が多く残っているドイツには、新築という考え方がなく、国全体でも年に10万戸ぐらい。

南郷 青春の木炭(楢)

 ドイツの人の一番のステイタスは「どれだけ工具を持っているか」なのだとか。ホームセンターなどでは、基本的にみんな自分でリフォームをしている。電気工事でさえ、基準をクリアしていればOKだという。
 驚いたことに電気メーターが見当たらない。そのメーターは地下室にあって年に一度しか見ないという。
 自分の時間をとても大事にしている欧州型の生活は豊かに人生を楽しんでいるように思えてうらやましいが、地震が多い日本では全く同じようにというのは難しいとも感じた。
 ソーラーパネルとオール電化、薪ストーブ、ガスなど、寒冷地の気候特性や個人のライフスタイルを考えながら最適の組み合わせを探るべきだと佐々木さんは考えている。

震災を経て太陽光発電は注目されたが、オール電化は不安だという声もある。しかし佐々木さんは、「オール電化が、災害に強い面がある」と言う。
 「蓄熱式暖房機は、ためた熱で、2日ほどは暖房を使える。給湯器にも湯がためられるので、風呂にも入れる。災害時の復旧も、電気は比較的早い」
 調理器具やウォシュレットなどはさすがに使えないが、今後、蓄電池の性能が向上すれば、蓄電池で電気を貯めて災害時に使う時代が来る。最近よく耳にする「スマートハウス」も同じ発想だ。技術はほぼできているので、これからは普及が課題になりそうだ。

自然エネルギーに力を入れたい

佐々木さんは今年新築した自宅を、オール電化と太陽光発電の実験場にしている。住宅用太陽光発電では、「余剰電力の買取制度」が採用されている。太陽光発電した電気から、自分の家で使った電気を引いて余った電気があればこれを売電することができる。
 6月からの3ヶ月間で、電気料金と売電分の結果は以下の通りだった。7月は電気料金318円に対し、売電分は5万2千円、8月は同じく1千7百円払い、4万8千円の売電。もちろん屋根に載せたパネルも約10kwと大きなものだし、天候条件にもよるだろうが、相当な発電効果だ。その数字に驚いている傍らで、佐々木さんは「僕の予想通り」と平然としている。

ソーラーパネル1枚、機器1台とっても、さまざまな種類がある。住宅建設全体の中で電気機器に割ける予算、性能、ランニングコスト、住宅の大きさや屋根の向きなど、総合的に判断するには、施主と直接話をしなければ伝わらない。
 「お客さんはね、もちろんいいものが欲しいんですよ、ただ専門知識がないだけで。(業者側が)手間をかけなければ、本当にいいものが、なかなかお客さんに伝わらない」
 住宅は大きな買い物だ。青森県太陽光発電システム優良施工研究会の活動では、「待ちの構え」をとらない。お客さんが後悔することのないように、業者自ら積極的にいいものを伝えたいと、佐々木さんは願っている。
 「自然エネルギーの分野にはこれからも、力を入れていきたいし、後継者を育てていきたい」と笑顔で語る佐々木さん。
 遠い未来につながる「僕にまかせてください!」の言葉に一層の気迫がこもる。


佐々木登さんと畑中所長

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