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●祝!B−1ゴールドグランプリ受賞●夢はコナモン 汁゛食(じるく)ロードの旅!  熊谷 真菜(日本コナモン協会)   ×木村 聡(八戸せんべい汁研究所)

世界の辞書に「KONAMON」を

南部せんべいや豆しとぎは、本当に世界に行けるでしょうか?
熊谷

まずは南部せんべいで。木村さん、ずっとおっしゃってますよね、「汁”食(ジルク)ロード」。

「ジルクロード」とは?
木村


港むら福 南部菊の里

小麦とか塩って、ヨーロッパからシルクロードを通って伝わってきたじゃないですか。それがこちらでせんべいやせんべい汁になった。なら、それを逆に辿ろうよと。せんべいを大量に持って海を越えて、韓国に行ってチゲ鍋にせんべいを入れ、中国に行って火鍋に入れ、ロシアでボルシチ、最後はイタリアに行ってミネストローネにせんべいを入れる。3ヵ月くらいかけてヒッチハイクで行ってね。そしてローマに着いたら地元の人に「アルデンテ!」って言わせる(笑)。それから帰国して、某テレビ番組みたいにCDデビュー(笑)。

熊谷

最後のとこはちょっと分からないですけども(笑)。

いいですね。お二人でたこ焼きを焼きながら、せんべいを入れながら、みたいな感じで?
木村

年金生活になったら(笑)。

熊谷

でもホントに、元気なうちに行きたいです。シルクロードって、ある意味コナモンロードなんですよ。粉の伝播の道。もともと中国から始まってそこから派生していった。パスタも中国の影響を受けてますから。日本は米粒文化が柱ですが、楽しみの食として粉もんの食文化は縄文時代からありました。石臼が広まった江戸時代から、小麦粉食も庶民のものになります。平安時代はお公家さんしかうどんを食べれなかったとか、京菓子でも小麦粉を使用したものはいっぱいありますけど、それまでは一部の人の楽しみだったのが、江戸時代に庶民の楽しみになった。米も美味しいんだけど、小麦って加工によって全然変わるじゃないですか。麺もせんべいも同じ原料なのにこれだけ違う。そういうバリエーションが暮らしの彩りになる。子供とも楽しんで作れる。粉ってほんとに素晴らしいんですよ、ほんまでっせ!

熊谷

その素晴らしいコナモンが各地にあるので訪ねて、ひたすら食べたいだけなんですけども(笑)。私はお肉やお魚も好きなんですけど、どちらも味の見当がつくというか、想定を超えることは稀なんです。でも、コナモンに関しては口に入れるまで、どんな食感かわからない。発見があるんですよ。そういう意味で、私の考えるコナモンにゴールはないんです。コナモンを追求して、幸せに死んでいけたらいいなと(笑)。

木村

最期の言葉は『コナ〜』でしょ(笑)。


熊谷真菜さん&木村聡さん。2012.2.5@八戸市 八食センター

熊谷さんは食文化を通した国際交流で海外へも行かれていますが、海外での日本のコナモンの評価は、どんなものでしょうか? 八戸せんべい汁が世界に進出するとしたら、どの国がおすすめですか?
熊谷

そうですね…。今、日本の食文化は世界で注目されています。寿司や天ぷら以外の新しいメニューが求められていて、鉄板系のたこ焼きやお好み焼き、うどん、ラーメンってすごく人気があります。近々ロンドンのコナモンリサーチに出かけますが、地元でも興味津々ですね。たこ焼きは、パリにもお店がありますし、いろんな都市にコナモンが進出しています。日本文化の一つとしてコナモンの交流会を開いたりもします。ガレットの本場、フランスのブルターニュでたこ焼きを焼いたり、インドネシアに400年続く王室があるんですけど、王女がたこ焼き好きで、たこ焼き屋さんをやりたいと言って。

木村

えっ! 王室がですか!?

熊谷


菜膳わたすげ 純米大吟醸酒まんじゅう

ちょうど震災(2006年のジャワ島中部地震)があったときで、ジョグジャカルタという、日本でいう京都みたいな世界遺産のある街がぐちゃぐちゃになったんです。そのときに復興の明るい兆しとしてたこ焼きショップを開きたいという話があって、お手伝いし、「KONAMON TAKOYAKI」というお店がオープンしました。インドネシアでは、イカは食べるけどタコを食べる習慣はなかったというのに、たこ焼きをきっかけに食べるようになりました。またイスラム教なので豚が食べられないから、ソースにも豚エキスをはずしたり、そういう条件をクリアしながら、今は国内で3店舗に増えたそうです。

すごいお話です! 今まで何カ国行かれたんですか?
熊谷

韓国、中国、上海、香港、台湾、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシア、インド、オーストラリア。あとはヨーロッパですね。ドイツ、フランス、イタリア、スペイン…。ドイツのたこ焼きへの関心は特別すごかったです。デパートの地下でも焼いて試食してもらいましたが、たこ焼きをひっくりかえす動作、あのパフォーマンスに釘付けでした。ドイツは料理を手作りする国なので調理道具の専門店もはやっていて、そういう国ですから、たこ焼きのあのゆるい生地がどうしてそう(丸く)なるの?と。

日本人が見てても不思議ですものね。
熊谷

オランダやイタリアにもたこ焼きに似た形の食べ物はありますが、あんなにゆるい生地から焼きあげるものは、ないと思います。ドイツ人はタコを食べないって言われてたのに、お寿司のたこで慣れっこになっていて、ソーセージなども用意したのに「たこがいい!」と見向きもされませんでした。

木村

あちらでも名前は「たこ焼き」?

熊谷

「Takoyaki」とちゃんとおっしゃってますよ。でね、たこ焼きはやや広まってきたので、今の私の目標は世界の辞書に「コナモン」が出るまで頑張りたいなってことなんです。

木村

たこ焼きは載りましたよね。コナモンもまだまだ育ちますよ、B―1とはまた別に。そうだ。『全国コナモンサミット』とかやってみてもいいかもしれないね。

熊谷

そうそう、のど自慢のノリで、「コナモン自慢歌合戦」みたいなエンターテイメントと食べることを合わせた催しができたらいいなぁ。

楽しみですね! 国内で大きなイベントをやって、その後みんなで世界進出ですか。ついて行きますよ。私も”汁食ロードをたどりたい(笑)。
熊谷

ちょっと重いですが、たこ焼きの鍋と、せんべいの焼き型をせたろうて(背負って)、現地の粉や食材を使って焼いてみたいです。隣りでは、木村さんがその土地のスープにせっせと、せんべいを割り入れる。その光景は、ノーベル平和賞もんですよね(笑)。

(対談は2012年2月5日、八戸市の八食センターで開催されたイベント「コムギケーション倶楽部in八食」で収録)

熊谷 真菜(くまがいまな)さん
1961年、兵庫県西宮市生まれ。立命館大学卒業。同志社大学院修士課程修了。日本コナモン協会会長。生活文化研究家。タコヤキスト。社団法人現代風俗研究会事務局。
大学の卒業論文でたこやきの調査を開始し、代表作『たこやき』(講談社文庫)ほか書籍、CDを発表するまでに。2003年5月7日、日本コナモン協会設立、会長に就任。各地の粉もん(=粉料理、粉食文化)の再発見や、アジア各地の粉もん文化交流など粉もん文化の継承のために活動している。また、フードマーケティングデザイナーとして企画事務所運営の傍ら、食文化研究家としてテレビ、ラジオなど多方面で活躍中。暮らしそのものを見つめるフィールドワークを続けている。

木村 聡(きむらさとし)さん
1964年、青森県八戸市生まれ。八戸せんべい汁研究所事務局長。八戸広域観光推進協議会観光コーディネーター。八戸ポータルミュージアム「はっち」ディレクター。食文化を活用した地域活性のパイオニアとして多方面で活躍中。東京農業大学卒業後に帰郷し、㈶八戸地域地場産業振興センター(ユートリー)在職中、八戸せんべい汁のお土産用パックを開発。2003年11月に八戸せんべい汁研究所を立ち上げ、06年「第1回B級ご当地グルメの祭典!B-1グランプリ」を八戸市八食センターで開催。出展10団体、入場者1万7,000人から始まった同大会は、12年の出展63団体、入場者61万人(主催者発表)を記録するまでに成長を遂げている。


ザイケ真幸堂

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