映える写真よりも

今時はカメラ機能が、スマホ、携帯にもついて超便利なものになりました。
誰でもいつでもどこでも簡単に写真でも動画でも撮影できて、しかもすぐに送れる。それは便利ではあるに違いないのですが、旧世代の私のような人間にはへそ曲がりな抵抗感が拭えません。
江戸明治期の写真に撮られれば魂が抜かれるというほどの昔ではなく、ちょっと昔。旅行に行ったらカメラで写真ばかり撮るよりもしっかり眼に焼きつけて、五感で体験したほうがいいなどと言われていた記憶があるからで、三つ子の魂百までのように今なおその方が正しいような気がしてならないのです。
SNSインスタ全盛の今、そんなことを聞くこともなく話することも全くなくなって、むしろSNSをやらず写真も撮らなければ変人扱いされかねないような被害妄想がちょっとあります。とくに若い世代で倍速視聴ということが当たり前になっているようです。それに対しては賛成とか反対とかいうこともなく、ふ~ん、そうなんだという反応しかできません。本だって速読法というものありますし。でも、まさか音楽まで倍速で聴いたりする?
テレビの「モーニングショー」で長嶋一茂さんが「これ以上便利でなくても俺はいい。リニア新幹線にも乗るつもりもないし、俺は十分今が便利だ」とコメントしていて、ガッテン、ガッテンとボタンを押したかったのですが、目の前にはご飯茶碗しかなく。
ホントにでも、ヒトはこれ以上便利になってどこに行くのでしょう。かつて吉田拓郎さんは「自由になると淋しいのかい、やっと一人になれたからって涙が出たんじゃ困るのさ」と歌いました。「自由」を「便利」に置き換えると言いたいことに近いけれども、逆に淋しさを埋めるために便利を必要としているかもと考えると、ちょっと複雑。でも、やぁっぱりぼくぅは、映える写真よりも空気(雰囲気)を感じて味わいたい。

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