白い紙の恐怖

強迫神経症的にまっさらに白い紙が怖い。何か書(描)かれていないと不安になる。その反面、紙の白さをつまらぬもので埋めていいのだろうか、白いままで十分美しいではないかという気がしたり。「白い紙に向ひて 言ふことなし 白い紙はありがたきかな」などと怯む感覚では、手も足も出ず何も進まない。
悪戯にわざと汚してみたり落書きしたりというのでは、好きな子にわざと乱暴する中二病的な神経ではなかろうか。深層心理的に何か歪んだ要因を抱えているのか、と自分の内面を探ったらキリがなくなるので、それ以上踏み込まない。皆が皆とは言わないが、そういう性向を持つ人だって1人2人じゃないだろう。
白ということでまた思い出したが、「♪真っ白な掃除機を眺めてはあきもせず かといってふれもせず…」と歌う『白い一日』(作詞:小椋佳・作曲:井上陽水)という名曲を今の人たちは聞いたことがないかもしれないけれど、白いピカピカの掃除機を都会の人たちはオシャレな部屋に置いて眺めているのだなぁ、カルチャーだなぁ、シティライフだなぁと真面目に聴いていたことがあった。
そうとう時間が経ってから歌手俳優・武田鉄矢さんのラジオ番組で、「掃除機」ではなく「陶磁器」だと知り驚愕した。武田さん自身も掃除機を眺めてあきないとは何とシュールな歌詞だと思ったというから、同類だったのである。
前もどこかで書いてた気がするが、過去の文学作品を読むとすでに全てが書かれてしまっていて絶望して全く小説が書けなくなる、という作家・開高健さんのエッセイがあった(はずだ)。教養の絶対量が全く違うのだから、引き合いに出すのもおこがましいどころの話ではないが、そういう気分だけは分かる。
乏しい学歴の過去の記憶を辿ってみたら、試験で白紙(に近い)答案用紙を出したことがあった。その恥ずべき記憶がトラウマとなって今なお苦しめられているということなのだろうか。今号の特集テーマである『超えろ!ワク枠。』は中学生から40代に向けてのメッセージだそうだが、高齢編集者としては年齢の枠も超えろ!と勝手に受け止めたが、田島さんには一笑に付されるかもね。

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